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かめのすけの歴史 2

2011/01/26
かめのすけは当初、青葉園の中での活動として始まりました。当然、介助者の派遣先も青葉園通所者に限って行っていました。

任意団体になる前、1996年当時、既にグループホームでの生活を始めている方や、家族の環境が変わり、生活を考えざるをえない方もおられました。青葉園も活動を見直しており、男性のご本人さんばかりで自分たちの生活を考える取り組みを始めた時期でもありました。

男性のご本人さん達と話をする中で、青葉園職員とは泊まった事があるものの、家族以外の人と泊まった事もなければ、外出をしたこともない状態で、自分の将来に関して話をしようとしても全く想像がつかない日々でした。そんな中で、生活するにあたってのお金はどうしているのだとか、何処かに行ってみたい、何が食べたい、何をしてみたい等、身近な話をした記憶があります。

私は青葉園職員でもありましたので、一緒に外出するのもあまり意味がなく、他の方を探すことが必要となりました。そんな時に声をかけさせていただいたのが、青葉園に登録されていた関西保育福祉専門学校の学生を中心とするボランティアさん達でした。

このボランティアさん達は年二回程度のイベントを行ってくれていたのですが、そのイベントとは別に一対一の介助を行ってもらったのです。

また、関西学院大学の大学院生がいたので、その方と関学の学生会館の前において路上でビラまきも行いました。この時のビラまきは言語障害と不随運動がある二人の障害をお持ちの方と大学院生と三宅で行ったのですが、ハンドマイクを口に持っていこうとしても不随運動で定まらず、言語障害があるので本人がしゃべっている間もなく前を通り過ぎて行き、誰一人聞いてくださる方はいませんでした。また、ビラも本人の手から渡したかったので車椅子を押して頑張ったのですが、一時間近くで10枚程度に終わった事を覚えています。

そんな状況の中でも、ご本人さんはやったことがないのなら泊まってみようという意気込みはありましたので、何とか学生さんと、当時あおば福祉会が借りていた部屋を使わせてもらい泊まったりしました。男性のご本人さん達は言語障害がありましたが、話をすることは出来ましたので、最低限度のコーディネイトはするものの自分の必要なことは自分で伝えるといった、今、振り返るとやや無謀な泊まりだったかもしれませんが、ご本人さん達は泊まり明けには、疲れた半面、おもしろかった等の感想を話していたことを覚えています。

三宅 直基
14:48 かめのすけの思い | コメント(0) | トラックバック(0)
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