2022年度を振り返って
2023/04/12
もう2022年度が終わろうとしています。
今年度もコロナ感染に脅えながら始まり、実際にコロナウイルスに感染した方は、障害をお持ちの方、介助者の方、それぞれの家族等を含めると20名超にも上ります。どの方も重症化することがなく良かったのですが、入院された方はおられます。中には、入院することができて一安心と思いきや、適度な拘束をされた方、服薬の管理が出来ずに、コロナはよくなったものの全身状況が悪くなってしまった方がいるのも事実です。
コロナウイルスは完全に無くならないのですが、経済活動を行っていく必要もあり、3月13日にはマスクの着用は自己判断になり、5月には感染症の分類が5類に変わっていきます。
介助者の方々には、基本的な以下の対応は継続していただき、介助中はマスクの着用をお願いします。
・外出前後、介助前後の手洗い・手指消毒
・3蜜(密閉、密集、密接)を避ける
・疑いのある時の早期受診、早期連絡
かめのすけが始まって20年以上の月日が流れ、ご本人の生活も変わりました。今までにも、ご家族と生活をしていたご本人が、グループホームでの生活が主になっている方もおられましたが、今年度においては遠方の入所施設での生活を始められた方がおられました。
遠方の入所施設ですので、様子を直接見に行くこともできません。今出来るかかわりは、オンラインで様子を聞く程度でしかありません。
これまでの日々の私たちがかかわる中で、ご本人の思いを聞きつつも社会の中でのうまい付き合い方や自己表現を伝えることが出来なかったのか、この西宮で、地域で生活を続ける方法がなかったのかと反省をさせられています。
コロナ感染のために近年、大学でのアピールが出来ていなかったことや途中で辞めた方がいる関係で、今年度末にかめのすけを卒業していく学生介助者はなんと一名なのです。コロナ禍においても介助活動を継続してくださり本当に感謝に堪えません。
この時期だからこそ、人と人の対人関係の大切さ、役割を社会に伝える必要があったはずなのに出来ていない事を痛感させられています。
また、以前は介助者の多くは学生でしたが、近年、年齢層が上がってきており介助活動を生業とする方が増えてきており、これからの在り方を考える時期なのかもしれません。
障害が在る無しにかかわらず、人が人として出会い、社会中で生きていく。ウィズコロナの中で、当たり前の社会を再度、確認しながら新しい2023年度を迎えていきたいと思います。
三宅直基
今年度もコロナ感染に脅えながら始まり、実際にコロナウイルスに感染した方は、障害をお持ちの方、介助者の方、それぞれの家族等を含めると20名超にも上ります。どの方も重症化することがなく良かったのですが、入院された方はおられます。中には、入院することができて一安心と思いきや、適度な拘束をされた方、服薬の管理が出来ずに、コロナはよくなったものの全身状況が悪くなってしまった方がいるのも事実です。
コロナウイルスは完全に無くならないのですが、経済活動を行っていく必要もあり、3月13日にはマスクの着用は自己判断になり、5月には感染症の分類が5類に変わっていきます。
介助者の方々には、基本的な以下の対応は継続していただき、介助中はマスクの着用をお願いします。
・外出前後、介助前後の手洗い・手指消毒
・3蜜(密閉、密集、密接)を避ける
・疑いのある時の早期受診、早期連絡
かめのすけが始まって20年以上の月日が流れ、ご本人の生活も変わりました。今までにも、ご家族と生活をしていたご本人が、グループホームでの生活が主になっている方もおられましたが、今年度においては遠方の入所施設での生活を始められた方がおられました。
遠方の入所施設ですので、様子を直接見に行くこともできません。今出来るかかわりは、オンラインで様子を聞く程度でしかありません。
これまでの日々の私たちがかかわる中で、ご本人の思いを聞きつつも社会の中でのうまい付き合い方や自己表現を伝えることが出来なかったのか、この西宮で、地域で生活を続ける方法がなかったのかと反省をさせられています。
コロナ感染のために近年、大学でのアピールが出来ていなかったことや途中で辞めた方がいる関係で、今年度末にかめのすけを卒業していく学生介助者はなんと一名なのです。コロナ禍においても介助活動を継続してくださり本当に感謝に堪えません。
この時期だからこそ、人と人の対人関係の大切さ、役割を社会に伝える必要があったはずなのに出来ていない事を痛感させられています。
また、以前は介助者の多くは学生でしたが、近年、年齢層が上がってきており介助活動を生業とする方が増えてきており、これからの在り方を考える時期なのかもしれません。
障害が在る無しにかかわらず、人が人として出会い、社会中で生きていく。ウィズコロナの中で、当たり前の社会を再度、確認しながら新しい2023年度を迎えていきたいと思います。
三宅直基
クウ・ネル・ダス以上の介助
2023/03/03
以前にも書いていますが、かめのすけの活動の一つとして、近隣大学にアピールに寄らせていただき若い学生さんたちに障害をお持ちの方々の生活の話をさせてもらいます。常にご本人さんも一緒に行っていただき、もう慣れたもので自分の思いを多くの学生の前で短い時間ですが、話をしてくださります。
障害をお持ちの方が地域で生活している事を知ってもらい、少しでも興味を持ってもらえたら、学生さんの生活に一石を投じる活動をしています。
以前は介助者の多くを学生が担って来てくれていましたが、最近は数える程度になってきています。
社会制度的には、かめのすけが活動を始めた1998年は支援費制度前でありボランティアという意識が強かったのですが、契約制度が福祉施策に入った2000年以降、生業としての意識を持つ方が増えてきています。
無償のボランティアより有償になることで、福祉に人が興味を持つにあたっての間口は広くなったとは思いますが、人への興味よりも収入、効率といった面に重きを置く方が入ってきたのも事実です。少しでも良い条件を求めて事業所から事業所に、ご本人を連れて転々とする介助者が居るとの話を聞いたことも有ります。
私たちはクウ・ネル・ダス(食事・睡眠・排泄)だけを支援したいのではありません。クウ・ネル・ダスは生活を行っていく上で必要な事では有りますが、クウ・ネル・ダスは、体調を整え、余暇や社会参加を楽しむため、自己実現を行うための前段階でしかありません。
生業として介助に関わっている方には、クウ・ネル・ダスが介助でありそれ以上は必要ないと感じられている方が居るのではと、思うことが有ります。中には、本人中心といった事をはき違えているのでしょうか、言葉での表現が苦手の方を前に、何も言ってこない、指示が無いので何もしていないという方もいました。
かめのすけのご本人はなかなかご自身の思いを自身の言葉で表現をするのが難しい方々が多いので、介助者がご本人の思いを聞き取ろうと発信をしないと、イエス、ノーも応えられません。また、自身の興味のあることは発信できても、興味のないことはイエス、ノーも言えないのも事実ではないでしょうか。
24年前には余暇的な活動が多かった介助が、実生活を支える支援が多くなりなりましたし、クウ・ネル・ダスをはじめ介助内容も高齢化や医療的なことを伴う事が増えるなど、ご本人にとっても制約が増えてきていますが、どうしたらクウ・ネル・ダス以上のご本人の思い、自己実現できるかを考えてもらえたらと思います。
三宅直基
障害をお持ちの方が地域で生活している事を知ってもらい、少しでも興味を持ってもらえたら、学生さんの生活に一石を投じる活動をしています。
以前は介助者の多くを学生が担って来てくれていましたが、最近は数える程度になってきています。
社会制度的には、かめのすけが活動を始めた1998年は支援費制度前でありボランティアという意識が強かったのですが、契約制度が福祉施策に入った2000年以降、生業としての意識を持つ方が増えてきています。
無償のボランティアより有償になることで、福祉に人が興味を持つにあたっての間口は広くなったとは思いますが、人への興味よりも収入、効率といった面に重きを置く方が入ってきたのも事実です。少しでも良い条件を求めて事業所から事業所に、ご本人を連れて転々とする介助者が居るとの話を聞いたことも有ります。
私たちはクウ・ネル・ダス(食事・睡眠・排泄)だけを支援したいのではありません。クウ・ネル・ダスは生活を行っていく上で必要な事では有りますが、クウ・ネル・ダスは、体調を整え、余暇や社会参加を楽しむため、自己実現を行うための前段階でしかありません。
生業として介助に関わっている方には、クウ・ネル・ダスが介助でありそれ以上は必要ないと感じられている方が居るのではと、思うことが有ります。中には、本人中心といった事をはき違えているのでしょうか、言葉での表現が苦手の方を前に、何も言ってこない、指示が無いので何もしていないという方もいました。
かめのすけのご本人はなかなかご自身の思いを自身の言葉で表現をするのが難しい方々が多いので、介助者がご本人の思いを聞き取ろうと発信をしないと、イエス、ノーも応えられません。また、自身の興味のあることは発信できても、興味のないことはイエス、ノーも言えないのも事実ではないでしょうか。
24年前には余暇的な活動が多かった介助が、実生活を支える支援が多くなりなりましたし、クウ・ネル・ダスをはじめ介助内容も高齢化や医療的なことを伴う事が増えるなど、ご本人にとっても制約が増えてきていますが、どうしたらクウ・ネル・ダス以上のご本人の思い、自己実現できるかを考えてもらえたらと思います。
三宅直基
地域生活支援って??
2023/02/10
かめのすけは「障害者の地域生活を支援している」と話をします。さて、
「地域生活」とは何でしょうか?多分明確な定義は無いかもしれませんが、
よく初めての人に説明をするときには対極にある「施設」との比較をします。
「施設」は多人数が一つのハードに住み、食事は栄養士が個人に適したものが提供され、入浴や消灯時間も管理されているのに対して、「地域生活」は街の中の
アパートに表札を出して、食事は自分で選び、消灯時間も自分で決めて行う生活と説明しています。
「地域生活」は単に住所地が市内にあるだけではありません。障害をお持ちの方が自分の思いを、誰と、どのように、どこで表現するのか、選んでいるかが問われているのだと思います。
先日、一人暮らしをされている方が週に数回、夕食に焼餃子を食べておられることが話題になりました。皆さんの中には、餃子が好きで毎日食べている方がいるかもしれませんが、少ないかと思います。
何故、ご本人は焼餃子を選んでいるのでしょうか?
そこには様々な要因が有るかと思います。ご本人が好きなのもありますが、介助者の聞き方が大きく関係あると思います。また、介助者の提供できるレパートリーが少ないからというのもあります。どこかでご本人を決めつけていませんでしょうか?
同じ餃子でも、蒸し餃子、水餃子等の調理方法を変える、シュウマイや小籠包等の同じ中華料理の中でバリエーションを拡げる。中華料理という範囲では、ソースを和えるだけの商品を使う等の方法もあります。
また、ご本人とメニューを決める時に、せめて一週間の記録を振り返ってから重複を避けるなどの工夫が有っても良いと思います。
障害をお持ちの方が自分の思いを表現して、生活することが地域生活ではあるのでしょうが、それだけで済むのでしょうか?先にあげたような食事が極端に偏ったり、介助者に決められたり、制止されるのも違うと思いますし、好きな事に多額のお金をつぎ込んでしまい生活が回らなくなるのも困ります。かめのすけではありませんが、生活保護のお金を全て、パチンコに使ってしまうという方の話を聞いた事があります。
過去何十年もの間、親御さんと暮らしており、金銭管理、食事も家事も親御さんがやってくださっていた方にとっては、生活の全ての家事等に気を廻すこと、自己判断をすることは、とても気が重い、難しいことだと思います。かと言って、介助者が、親御さんが行っていた事を全てするのも本人中心の地域生活ではなく、管理に近くなるとも思います。
介助者自身の生活能力を上げ、拡げていくこと、ご本人が理解できるような選択肢や表現によって、生活環境や、生活状況を伝えて取捨選択できるようにしていく等、
聞きだす力を深めていくことも、ご本人が経験を積み、力を蓄えていくことに
つながる、介助者が行う地域生活支援ではないでしょうか。
三宅直基
「地域生活」とは何でしょうか?多分明確な定義は無いかもしれませんが、
よく初めての人に説明をするときには対極にある「施設」との比較をします。
「施設」は多人数が一つのハードに住み、食事は栄養士が個人に適したものが提供され、入浴や消灯時間も管理されているのに対して、「地域生活」は街の中の
アパートに表札を出して、食事は自分で選び、消灯時間も自分で決めて行う生活と説明しています。
「地域生活」は単に住所地が市内にあるだけではありません。障害をお持ちの方が自分の思いを、誰と、どのように、どこで表現するのか、選んでいるかが問われているのだと思います。
先日、一人暮らしをされている方が週に数回、夕食に焼餃子を食べておられることが話題になりました。皆さんの中には、餃子が好きで毎日食べている方がいるかもしれませんが、少ないかと思います。
何故、ご本人は焼餃子を選んでいるのでしょうか?
そこには様々な要因が有るかと思います。ご本人が好きなのもありますが、介助者の聞き方が大きく関係あると思います。また、介助者の提供できるレパートリーが少ないからというのもあります。どこかでご本人を決めつけていませんでしょうか?
同じ餃子でも、蒸し餃子、水餃子等の調理方法を変える、シュウマイや小籠包等の同じ中華料理の中でバリエーションを拡げる。中華料理という範囲では、ソースを和えるだけの商品を使う等の方法もあります。
また、ご本人とメニューを決める時に、せめて一週間の記録を振り返ってから重複を避けるなどの工夫が有っても良いと思います。
障害をお持ちの方が自分の思いを表現して、生活することが地域生活ではあるのでしょうが、それだけで済むのでしょうか?先にあげたような食事が極端に偏ったり、介助者に決められたり、制止されるのも違うと思いますし、好きな事に多額のお金をつぎ込んでしまい生活が回らなくなるのも困ります。かめのすけではありませんが、生活保護のお金を全て、パチンコに使ってしまうという方の話を聞いた事があります。
過去何十年もの間、親御さんと暮らしており、金銭管理、食事も家事も親御さんがやってくださっていた方にとっては、生活の全ての家事等に気を廻すこと、自己判断をすることは、とても気が重い、難しいことだと思います。かと言って、介助者が、親御さんが行っていた事を全てするのも本人中心の地域生活ではなく、管理に近くなるとも思います。
介助者自身の生活能力を上げ、拡げていくこと、ご本人が理解できるような選択肢や表現によって、生活環境や、生活状況を伝えて取捨選択できるようにしていく等、
聞きだす力を深めていくことも、ご本人が経験を積み、力を蓄えていくことに
つながる、介助者が行う地域生活支援ではないでしょうか。
三宅直基
自立の変容と、家族関係の変容と共有
2022/12/08
昨年11月、車いすの障害者がバスに乗ろうとした際に、車椅子スペースの乗客が寝ており起こせないので、「次のバスに乗って欲しい」と乗車拒否をした事件が川崎市で起きたのをご存知でしょうか。この川崎市は1977年に自立生活運動の一つとして象徴的なバス闘争が起きた場所でした。
障害者運動の中における「自立」は様々な意味を持っています。
・自身で身の回りのことが”健常者と同じように”できるようにする身辺的な自立
・就労することに因ってかなう就労・経済的自立
・他者からの支援を受けながら主体的に生きる自己決定における自立
・自己決定、意思決定に支援を受けての自立
・親からの自立
障害をお持ちの方は、生活の中において何らかの支援を受ける、依存する必要がありますが、依存する対象が親ではなく他の人よる生活が、自立生活言えるのではないでしょうか。
障害者の自立は別の側面からみれば、家族ケアの課題と見ることが可能になります。
子育て期が終了しても、障害特性の配慮において親が引き続き支援を担っていくことで、成人期に至っても切り替えが上手くいかないことが、障害者の自立が進まないことと言えます。家族が支援をしていた時には、当然子供のすべてを知っていた親が、子供が自立をすることで知らないで良い情報と知っておきたい情報とが出てくるのです。子供の親からの自立は、親の子供からの自立も必要になってきます。
障害をお持ちの方と介助者が対等かといえば、そうは言いきれません。障害をお持ちの方の支援のニーズは身体介助から見守り迄多岐にわたり、このニーズから離れることは出来ません。しかし、介助者の方は離れることが出来るという意味で、対等ではありません。故に障害をお持ちの方は、介助者との関係で余分な疲れをしないように、無意識の上でされているのではないでしょうか。
障害をお持ちの方は、支援者との関係でも親子の関係でも「うまくやる方法」を長年の関係性、経験の上で習得されているのかもしれません。
障害をお持ちの方と介助者は対立関係かといえば、そうではありません。対立関係では、介助者は既にその場には居ないでしょう。ご本人は、家族にも支援者にも気を使い、家族はご本人に支援者に、支援者はご本人に家族にも、無意識の気を使いながらいることを理解して、ご本人がどの方向を目指し、どの段階にいるのかを共有すること。個々の役割と他の方との関係を意識し、変わっていくことでご本人の自立を後押しできるのかもしれません。
三宅直基
事業計画 感染時
2022/11/08
前回、災害時の事業継続計画に関して記しましたが、感染症の事業継続計画も立てています。コロナ感染の第七波が拡がり、かめのすけにおいてもご本人に、介助者にと感染が拡がりましたので、現実的な対応とも言えます。
コロナに限らず、何らかの感染が拡がる場合の難しさは災害の時のような始まりも終わりも明確でないことになるかと思いますし、ご本人も介助者も感染者が常に流動的で、今日は可能でも明日には難しくなることが考えられます。
最初に考えることはご本人の生活状況によっての優先順位を考えることにはなります。どの皆さんにおいても、我々の介助は地域生活をする上で必要な介助だと思っていますが、一人暮らし、生活介助、外出と分けるとすれば、一人暮らしは介助者がいなければ生活全体が回りませんので介助者を外すことが出来ません。ご家族がいた上での入浴などの生活介助は、二番目になります。一人暮らしや生活介助においても、入浴を清拭での対応をお願いすることも有るかもしれません。外出においても余暇的な外出と、通院などの必要な外出では違いが生まれます。
かめのすけのご本人は一見での介助が難しいと理解をしていますので、普段から研修に重きを置いているように、介助者がいてもご本人を知り得ない介助者の派遣は難しいと判断をすることになるかと思います。
このコロナ禍においては、様々な対応がありました。
グループホーム利用者が陽性になった場合は、グループホームからの通所施設への通所も止めて、療養期間が終わるまでグループホームで過ごしたケースもあります。一人暮らしでも療養期間を病院での入院が出来たケースもありますが、出来ずに介助者の人数を限って対応したケースもあります。
ご本人が濃厚接触になっているからと玄関先で帰って仕舞った事業所もありました。
外出は人によっても大きく違い、外出時間を短縮して継続された方もいますが、感染拡大以来一回の外出もされていない方もいます。
どの場合も、関連事業所との調整やご家族と相談をしながら行う事になります。
第七波で医療機関、保健所の対応が限界になり、感染者の全数把握を止めたのが9月26日。10月11日から、観光支援策が始まり、海外からの水際対策も緩和されて行動制限がなくなり、人流が激しくなっているのは実感としてありますし、感染者数も前週比プラスになることが続いています。withコロナ政策の中、インフルエンザを含めての感染の拡大がどこまであるかわかりません。
個々で出来る基本的な対策をご本人、介助者は行いながら、全体としての様々なお願いをする場合もあることもご理解いただければと思います。
コロナに限らず、何らかの感染が拡がる場合の難しさは災害の時のような始まりも終わりも明確でないことになるかと思いますし、ご本人も介助者も感染者が常に流動的で、今日は可能でも明日には難しくなることが考えられます。
最初に考えることはご本人の生活状況によっての優先順位を考えることにはなります。どの皆さんにおいても、我々の介助は地域生活をする上で必要な介助だと思っていますが、一人暮らし、生活介助、外出と分けるとすれば、一人暮らしは介助者がいなければ生活全体が回りませんので介助者を外すことが出来ません。ご家族がいた上での入浴などの生活介助は、二番目になります。一人暮らしや生活介助においても、入浴を清拭での対応をお願いすることも有るかもしれません。外出においても余暇的な外出と、通院などの必要な外出では違いが生まれます。
かめのすけのご本人は一見での介助が難しいと理解をしていますので、普段から研修に重きを置いているように、介助者がいてもご本人を知り得ない介助者の派遣は難しいと判断をすることになるかと思います。
このコロナ禍においては、様々な対応がありました。
グループホーム利用者が陽性になった場合は、グループホームからの通所施設への通所も止めて、療養期間が終わるまでグループホームで過ごしたケースもあります。一人暮らしでも療養期間を病院での入院が出来たケースもありますが、出来ずに介助者の人数を限って対応したケースもあります。
ご本人が濃厚接触になっているからと玄関先で帰って仕舞った事業所もありました。
外出は人によっても大きく違い、外出時間を短縮して継続された方もいますが、感染拡大以来一回の外出もされていない方もいます。
どの場合も、関連事業所との調整やご家族と相談をしながら行う事になります。
第七波で医療機関、保健所の対応が限界になり、感染者の全数把握を止めたのが9月26日。10月11日から、観光支援策が始まり、海外からの水際対策も緩和されて行動制限がなくなり、人流が激しくなっているのは実感としてありますし、感染者数も前週比プラスになることが続いています。withコロナ政策の中、インフルエンザを含めての感染の拡大がどこまであるかわかりません。
個々で出来る基本的な対策をご本人、介助者は行いながら、全体としての様々なお願いをする場合もあることもご理解いただければと思います。